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大阪家庭裁判所 昭和47年(家)2984号 審判 1973年1月11日

申立人 ○○児童相談所長 X

事件本人 A 昭和○年○月○日生 他1名

事件本人の法定代理人親権者父 B

同母 C

主文

申立人が事件本人二児を養護施設に入所させることを承認する。

理由

本件申立の要旨はつぎのとおりである。

事件本人両名(以下、適宜二児と略記)について、昭和四三年一二月二四日、親権者である父B、母Cの承諾のもとに、児童福祉法第二七条第一項第三号の措置がとられ、じ来二児は、a市のb学園に入所し同所での生活環境にも適応し現在に至つている。

ところで最近、母Cと現に同女と婚外関係にあるDの両名が二児の引取りを強く求めるが、父Bおよび二児の姉E、F(以下、適宜二姉と略記)は、二児をDと同居するCの監護に委ねることに強く反対している。児童相談所長としては、母Cの生活状況家庭環境は二児の監護を託するに適当でないし、監護能力も十分でなく、また二児の意見・希望、現在の施設における生活状況、および二姉の意向・希望などからみて、いま二児をCに引渡しその監護に委ねることは二児の福祉上適切でなく引きつづき児童福祉法第二七条第一項三号の措置を講ずる必要があると考え、同法第二八条にもとづき主文の承認を求める。

審案するに、調査の結果によるとつぎの実情が認められる。

(1)  事件本人二児の父B母Cは、昭和二六年頃結婚し、同三〇年九月一五日その届出を済ませ、その間に二児ほか二姉らをもうけた。父Bが病気のため同三八年頃から入退院を繰り返えし、同四三年一一月、肺結核症で東大阪市cのd病院に入院した。ところでCが、かねて婚外関係にあつたDを、成長期の四児があるにもかかわらず、夫入院中の留守宅に宿泊させるなどのことがあつたため、上記四児の不信と反感を招き、Bも一時退院して帰宅するなど家庭の平和がみだされ、その家族関係は著しく悪化し、とくに年長の二姉は母らと生活をともにすることを嫌悪しこれを拒否するに至り、家族生活は崩壊の危機に直面した。そしてついに、Cが同年一二月初旬、病気療養中の夫と四児を放置して、同月分の生活保護費と年末手当金などの全額を持ち出してDとともに家を出るに及んで、家族は一家離散のやむなきに至つた。そこで東大阪市の福祉事務所や児童相談所の担当福祉司ら福祉関係者において協力し熱意をもつて援助に当り、その結果、Bは再び上記d病院へもどり、二姉は新たに就労先きに住み込み、二児は児童相談所で一時保護を受けたのち、親権者両名の承諾のもとに同年一二月二四日b学園に入所した。

(2)  二児は、生まれてこのかた、父の病気・経済的窮迫などのため、日常生活上のしつけや栄養上の配慮を十分に受けることができなかつたこともあつて、入所当時は、年齢に比し精神的身体的な遅れがかなり目立つたが、その後同園で集団生活をつづけるにつれ、学校関係でもまた学園内でも、従前にくらべると、

人間関係も良好になり精神的情緒的安定をとりもどし、新たな生活環境にも一応適応して生活し現在に至つている。ところですでに、Aは中学一年にGは小学五年にそれぞれ成長したが、二児は、昨年九月二一日、上記児童相談所で申立人およびDと面会し、同人らから「施設を出て母の許でともに生活するように」と話しかけられたのに対し、強くこれを拒否する態度を示し、今後の生活については、Dと生活をともにする母の許へ帰る気持は全くなく、また母との生活になにかと不安を感じ、できれば母と上記二姉らと五人で平穏な家庭生活を営みたいと念願している。

(3)  上記二姉は、はじめての就労先きの生活にもよく適応し、勤務先きでも暖かく迎えられ、約二年間勤めたのち、現在のe産業株式会社に転職し、同社の寮に現住しているが、父の病気母の家出のため家族が離散して生活しなければならなくなつた不幸な境遇にもめげず、年少ながら健気にも明るく元気で仕事に精励し、勤務先きの信頼もあつく、また、生活態度も極めて堅実で、休日には、近くのd病院に入院中の父を、またb学園に入所中の二児を、それぞれ見舞つてはげまし、二児の今後の生活については、母がDと別れて母子五人で生活することをなによりも念願しているが、母とDとの関係がつづく限り、母との生活共同を望まず、むしろ二児を引きつづき暫らく上記学園で生活させ、Aの中学卒業の頃二児を引取つて姉妹四人でともに暮らすことを計画し、現に毎月の収入から将来の住居費等に充てるため一定額を預貯金している。

(4)  Bは、引きつづき上記病院に入院しており、現在、高血圧症脳軟化症などを併発し言語障害もみられるほどで、二児を監護する能力は十分でないが、ゆつくり話せば会話も可能で、その意思を表明することができる状況にあり、二児の今後の監護については、Cが他男と同居している以上、二児をCの許にもどすことには強く反対している。

(5)  Cは、上記のように同四三年一二月、家を出てDと同居し、簡易旅館などに居住していたが、Dの生活保護受給の都合もあつて肩書地に定住するようになり、f区の旅館の布団シーツの整備の仕事などに従事し、月収約四万円を得ているが、二児らの監護について、格別の配慮を示さず両三年を経過したが、同四七年九月頃、児童相談所が二児の入所先きを知らせなかつたとして、相談所および学園に不信を抱き二児の監護に不安を感じ、Dの勧奨に動かされ、二児の引取りを強硬に要求しはじめたが、その後、本件審理の過程において、上記b学園の性格機能などの説明を受け、同園が、親に無断で二児を里子にやることもないし、また教護院などのような非行少年のための施設でないことをよく了解し、現在では、自己とDとの生活状況からみて、二児を引取ることを必ずしも望まず、二児がなお暫らく上記学園で生活することもやむを得ないと考えており、ただ施設入所の承諾については決めかねるとして、家庭裁判所の判断に委ねる意向を表明している。

さて上記認定の実情のほか、本件および別件当庁昭和四七年(家イ)第三四九八、三四九九号子の引渡等請求調停事件にあらわれた一切の事情をあわせ考えて、本件申立の当否について考察する。

まず事件本人二児は、当初昭和四三年一二月二四日、その親権者両名の承諾のもとにb学園へ入所したが、その後同四七年九月頃、親権者の一方であるCにおいて二児の引き取りを強く要求するに至つて、以後二児を引きつづき施設に入所させることは親権者の意に反するときにあたるものと解すべきである。そこで上記認定の実情に明らかな、二児の現在の生活状況、二児自身の将来の生活に対する意向・希望、父Bおよび上記二姉の二児の今後の監護に対する希望や配慮、Cの現在の生活環境および二児の施設入所と監護に関する現在の心境をし細に検討すると、二児をいま直ちに、他男と生活をともにしその生活状況が必ずしも安定的でないCの監護に委ねることは二児の意向、希望に反するのみならず、人間形成期にある二児の福祉を害するおそれが多分にあり、むしろ二児の福祉を守り人間としての健全な成長のためには、二児が従前にくらべ周囲の人間関係生活環境にも比較的よく適応し、また近親者とくに二姉の精神的援助を受け易いb学園での生活をなお暫らく継続させるのが相当である。

しかし、二児の学園生活がすでに四年余を経過し、また二児が年齢的にみて人格形成上大切な時期にあることのほか、二児および近親者とくに二姉が近い将来に母とともに親子五人で生活することをまず何よりも念願し、そして二姉が年少ながら健気にも力一杯その生活の実現に配慮していることなどを考慮すると、母Cと関係福祉諸機関につぎのことを期待する。母Cにおいては、現在のDとの同居生活が、婚姻中の夫に対する不貞行為であり、その家庭を崩壊に導いた一因であることをよく反省し、二児を含む四人の子女が挙つて母Cと親子五人で家庭生活を送りたい、と心から念願していることに深く思いを致し、母としての自覚と責任感を換起し、子らとともに生活することができるよう、このさいDとよく話し合いその理解を求めるなどして事態の改善に努め、また、児童相談所など関係福祉諸機関においては、二児ができるだけ速かに、遅くともAの義務教育終了時までには、近親者とともに平穏な家庭生活を送ることができるよう、児童・保護者の指導および家庭環境の調整などについてさらに一層の努力を払い、適切な措置を講ずべきである。

よつて主文のとおり審判する。

(家事審判官 西尾太郎)

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